愛くるしいフォルムで我々を魅了してやまないUAZ製バン。ロシア国外でも高い人気を誇り、ジャケットに登場したり、SFマンガに出演するなど、日本文化にもよく溶け込んでいる。一時は日本でも購入可能で、敢えてロシア車に手を出す奇特な日本人オーナーは、ロシアの国営放送に取り上げられたほどだ。現地では、食パンを意味するブハンカ(Буханка=一斤)という愛称で親しまれ、1965年の登場以来、半世紀にわたり東側の営みに寄り添っている。ところで、UAZとは車名ではなく社名だ。Ульяновский Автомобильный Завод(ウリヤノフスク自動車工場)の頭文字を取ってУАЗ(ワズ)と略され、いつの間にか我が国ではブハンカの代名詞となった。
サハリン西海岸を快走する178系統 |
本題に入ろう。かつて流刑地とされ、また一時期は樺太と呼ばれた島サハリンには、ブハンカによって運行されるバスがある。西海岸の港湾都市ホルムスクと、同じく間宮海峡を臨む村チェーホフを結ぶ178系統がそれだ。平日に2往復運転され、ダイヤはホルムスク発が11時と16時、チェーホフ発が8時と14時となっている。所要時間は運転士の裁量次第だが、おおよそ50分から80分だ。運賃は距離制で、全線乗り通しても172ルーブル。
ダッシュボードの乗車券ロールがバスの証 |
旧ソ連諸国のミニバス(※マルシュルートカのサイズ)といえば、ロシア車のガズ(ГАЗ)か、西側から流入する型落ちのベンツやフォードが大半を占めるから、切符ロールを積んだブハンカは類稀な存在だ。ちなみに、確かにブハンカは外観こそ50年以上変わっていないが、中身はそれなりに改良されている。言うまでもなくこのバスも、登場当時のУАЗ-452ではなく、近代化されたУАЗ-2206だ。もちろん幾度のモデルチェンジを経ても、ロシア車ならではの質実剛健さ(と安さ)は失われず、過酷な道路事情の地方部においては根強く支持され続けている。
さて、ホルムスクのバスターミナルからブハンカに乗り込もう。乗り場は特に定まっておらず、ワズは白タクに紛れて隅っこに停車している。運行を受託する住宅公益事業者マスター(ЖКХ Мастер)は2台のブハンカを保有しており、参考までにナンバーはそれぞれМ704ТЕとМ705ТЕ(※下二桁の65はサハリンの地域コード)だ。無事乗車できたら、あなたはブハンカの内装に驚くと思う。無骨な容姿と裏腹に、意外と座席などは西側のバンと変わらない趣で、乗り心地だって悪くない。走りは頼もしいの一言だ!未舗装路では次々と、右ハンドルの日本車やハングルが随所に残る中古バスを追い越していった。
ブハンカの車窓から |
ここでひとつ、おすすめの旅行プランを。Д2系気動車に乗車すべく、ホルムスクとチェーホフを往復する旅程はもはや定番と言えるが、その片道分をブハンカに充ててほしい。鉄道で往復すると、折り返し時間が僅か14分しかないが、11時のバスでチェーホフへ向かい、15時の列車でホルムスクに戻れば、チェーホフにまとまった時間を割ける。チェーホフが記録した19世紀のサハリンに思いを馳せながら、寒村を散歩するのもきっと楽しい。
ハイライトとなるクラスノヤルスコエ付近の峠越え |
最後に思い出深いエピソードを紹介したい。ロシアの公共交通機関といえども、アエロフロートやロシア鉄道など大企業の窓口であれば、一定水準以上のサービスを全土で期待できる一方で、依然として地方のバス会社では古き良き伝統が継承中という噂がありますよね。その説は正しいです。私はブハンカの時刻や乗り場を確認しようと、バスターミナルの窓口で質問してみた。すると出札係のご婦人は、ニェズナーユ(知らないわよ!)と一言残し、ガラス窓を無碍なくピシャリと閉じてしまった。彼女の仕事は切符を売ることであって、案内係ではない訳だし、単に外国人の扱いに慣れていなかっただけかもしれない。それに私は私で、ソ連チックな接客にひとり静かに興奮していたから、この一連の出来事にさしたる問題は無かったのだが、ここで救世主が登場する。行き場を失った私の元に、ブハンカのダイヤとナンバーを知る青年が現れたのだ。彼はただのバス利用客なのに、よほど私が気の毒に見えたのか、親切にもメモまで作ってくださった。拙いロシア語で礼を述べると、黒髪の青年は照れくさそうに微笑んでいた。
車窓に映るタタール海峡と座礁船 |
ターミナルの外でもサハリン市民の温かさに触れられた。ワズを見つけられず右往左往していると、朝鮮系のタクシー運転手がブハンカの方向を指し示してくれたのだ。彼は私にバスなど無いと告げ、自分の車に引き込むという選択もできたはずなのに!よその国で強引な客引きに遭ってきたから、殊更ロシア人の紳士さは印象深い。また、ブハンカの運転士も世話焼きで、何もない道端で下車しようとする私を中々降ろしてくれなかった。彼は下車の理由(撮り鉄)と、帰りの手段を有していることを確認してから、ようやく降車の許しを出した。それでも復路のブハンカが、心配そうに徐行してきたのを覚えている。
ロシアには他者を気遣う人々がたくさんいる。だから臆せずブハンカに乗って、ローカルバスで旅しよう。
※ソビエト製の乗り物で旅したくなったらこちらの記事を。
撮影: 2017年9月, 最後の1枚のみ同年7月
これはキジ島のブハンカ |
ロシアには他者を気遣う人々がたくさんいる。だから臆せずブハンカに乗って、ローカルバスで旅しよう。
※ソビエト製の乗り物で旅したくなったらこちらの記事を。
撮影: 2017年9月, 最後の1枚のみ同年7月
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